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イスラエル
Sep.1995

ベツレヘム
(パレスチナ自治区)
聖誕教会(写真)
聖誕教会
エルサレムからアラブバスに揺られること30分。ベツレヘムはキリスト誕生の地。イエスが生まれた洞窟の上には聖誕教会が建っている。写真の星印の下がイエス聖誕の洞窟だ。 聖誕の洞窟(写真)
聖誕の洞窟

エルサレム
悲しみの道(写真)
悲しみの道
ローマの属州となっていたイスラエルでは、圧政に苦しむ民衆が救世主(メシア)を待ち望んでいた。そこに登場したのがイエスだったが、彼の説く教えはこの地で行われていたユダヤ教の教義に反していたため、十字架にかけられる。
裁判で有罪となったイエスは十字架を背負い、ゴルゴダの丘へ悲しみの道(ヴィア・ドロローサ)を進んだ。この悲しみの道は当時と同じく、狭い繁華街となっている。ゴルゴダの丘の上にはローマ皇帝コンスタンティヌス帝の母ヘレナが建設した聖墳墓教会が建つ。このエルサレムの旧市街地は狭いうえに観光客や商店やらでごった返していた。
聖墳墓教会(写真)
聖墳墓教会
磔の場所(写真)
磔の場所

ゴルゴダの丘まで辿り着いたイエスは十字架へ磔にされた。そして息を引き取る。その場所(聖墳墓教会の中)にはイコンが建ち多くのキリスト教徒が祈りをささげていた。
同じく聖墳墓教会の中にはイエスの墓がある。教会の内部はひんやりとした冷たさを感じるが、人々の祈りをささげる姿に体の中からは熱いものがこみ上げてきた。この教会はキリストの各宗派が共同で管理しているため、宗派ごとの様々な装飾品を見ることができます。
イエスの墓(写真)
イエスの墓
嘆きの壁(写真)
嘆きの壁

古代の神殿があった場所(現在は神殿の丘と呼ばれている)を囲む西側の壁を、嘆きの壁という。ローマ帝国により破壊された神殿の再建をユダヤ教徒は祈り続ける。ユダヤ教最大の聖地。
壁に近寄ると、ユダヤ教徒が願いを込めて書いた紙切れが、岩の間にびっしりと詰まっていた。
悲願の書かれた紙切れ(写真)
悲願の書かれた紙切れ

神殿の丘(写真)
神殿の丘

いにしえのユダヤ教徒の神殿跡(神殿の丘)には、イスラム教徒の岩のドームが建つ。ブルーのモザイクと黄金のドーム、そして青い空が見る者を立ち止まらせる。ここはメッカ、メディナと並ぶイスラム教三大聖地のひとつだ。短パンなどでは近寄ることができませんが、スカートのような布(左写真)を貸してくれます。
岩のドームの中には、預言者ムハンマドが昇天した聖岩がある。中は撮影禁止。
岩のドーム(写真)
岩のドーム

オリーブ山から見た城壁に囲まれたエルサレム旧市街(写真)
オリーブ山から城壁に囲まれたエルサレム旧市街を望む


マサダ
マサダ要塞(写真)
マサダ要塞

ローマ帝国の圧政に苦しんだ民衆は蜂起した。しかし70年、ローマのティトス将軍によりエルサレムの街と神殿は破壊されてしまう。1千名近い人々は死海に面したマサダ要塞に立てこもり抵抗を続けたが、ローマ軍1万に対し3年間の籠城の末、僅かの女子供を残し集団自決をする。
地上400mの岩山の上は平坦な土地となっており、貯水や食料の備蓄施設、ローマ式のサウナ施設もあったそうです。この故事から「ノーモア・マサダ」というスローガンが受け継がれ、イスラエル軍入隊の際にはマサダで宣誓式が行われている。
地上400メートルの要塞(写真)
地上400mの要塞


エン・ゲディ・ビーチ
海抜マイナス400mにある魚のほとんど住まない塩水湖。死海のエン・ゲディ・ビーチで浮いてみました。感動しましたが、湖からあがると、塩水と照りつく太陽とで突き刺すような痛みが体中に走る。
マサダやエン・ゲディ方面は、バスの本数が少なく炎天下にさらされますので、ツアーに参加されることをお勧めします。今回は個人で行きましたので、かなり苦しい思いをしました。
死海で浮く(写真)
死海で浮く

エリコ
(パレスチナ自治区)
悪魔に試みられた誘惑の山(写真)
悪魔に試みられた誘惑の山
エルサレムからバスでエリコへ向かう。バスの運転手が言った。「エリコ!」。降りてみると一面の砂漠。遠くにオアシスが見える。あそこがエリコ?。3kmくらい歩くとパレスチナ自治区の検問所に出た(苦)。「ジャパニーズ?」。パスポートを見せると不思議がられる。あまりにも哀れに思ったのだろうか町まで1kmほどの道を車で乗せていってくれました。エリコへはツアーで行きましょう。
エリコはモーゼに率いられエジプトを出たイスラエル民族が最初に征服した町で、今はパレスチナ自治区の都市となっている。郊外にはイエスが悪魔に試みられた誘惑の山などがあるが、街自体はとても小さい。当時は自治が始まったばかりでエリコには活気があった。遺跡などを見学していると必ず人々が集まり、「日本に帰ったら友達にパレスチナの宣伝をしてくれ」と言っていた。あの人たちは今どうしているのだろう?
1993年に中東和平が実現し平和になったイスラエルを訪れてみたが、飛行機の手荷物検査は大変厳しく(個人旅行のため個室に連れて行かれ荷物の検査を受ける)、写真に所々青い斑点のようなものができているのも、非常に強いエックス線のせいだろう?マサダへ向かうバスの中で隣に座っていたイスラエルの女性兵士とおしゃべりをすることができた。彼女いわく「日本は二度と被爆しないために、なぜもっと重武装をしないのか?」。
日本へ帰国後、今後もパレスチナとイスラエルを陰ながら応援していこうなどと悦に入っていたところ、和平の立役者だったイツハク・ラビン首相がユダヤ人の過激派に暗殺されてしまった。その後は中東和平も画餅に帰してしまっている。「イスラエルとパレスチナはいいところだよ。一度行ってみな」と友人に勧めることができる日が来ることを、今は祈るしかない。
エリコ(写真)
エリコ